新1万円札《渋沢栄一》って何をした人?

今日の東京都江戸川区は朝からムシムシと暑く、汗をかいておきました🥵夜眠りにつく前にエアコンを除湿にし、2時間のタイマーを設定しているのですが、今朝はとんでもなく暑くてアラームの前に起きてしまいました💦
そろそろタイマーを設定するのではなく、付けたままにしておかないといけないなと思いました。

 

昨日から新紙幣へと変更されましたね💡もちろんまだ手元にはないのですが、これから目にするのが楽しみです🎵
新1万円札の《渋沢栄一》さんって何をされた方なのでしょう🤔?ふと質問されても答えられないなぁと思い、調べてみる事にしました🔍

 

《渋沢栄一》何をした人?

 

明治から大正の時代に経済の世界で活躍した渋沢栄一は、およそ500以上の企業の設立や運営に関わったとされており、「近代日本経済の父」や「日本資本主義の父」と呼ばれています。

さらに企業だけではなく、およそ600を超える社会・教育事業にも関わっているといわれています。また、日本発の銀行を設立するなど数々の偉業を成し遂げている渋沢栄一ですが、「渋沢栄一は何をした人ですか?」という質問には簡単には答えられませんよね。

なぜなら偉業や功績があまりにも多すぎて、一つだけ挙げることが難しいからなんだそう。また、もう一つの理由として、500以上の企業の設立・運営に関わっていながら、自身では財閥をつくらなかったことも理由として挙げられています。

渋沢栄一は、自身の利益を追求して私腹を肥やすために活動していたのではなく、社会をより豊かにするために働きかけていたのです。

日本で初めて銀行を設立

一言では言い表すことができない渋沢栄一ですが、教科書的に表現するのであれば「日本で初めて銀行を設立した人」となります。

33歳で大蔵省を退職した渋沢栄一は明治6年(1873年)7月20日に、日本で初めてとなる銀行の「第一国立銀行」を創設します。後に現在の「みずほ銀行」となる銀行であり、現在の中央区日本橋兜町に開業しました。

渋沢栄一が銀行を設立したのは、日本経済がこれから発展していくためには産業に対する融資が欠かせないと考えていたためです。また「国立」となっていますが、実際には民間企業だとの事。

ちなみに、第一国立銀行は日本で初となる株式会社と考えられていますが、坂本龍馬が1865年につくった「亀山社中(海援隊の前身)」も日本で初めての株式会社と言われています。

現在の東京証券取引所を設立

明治11年(1878年)には、人々が株式を用いてスムーズな資金調達を可能にするために、日本で初めての公的取引所となる「東京株式取引所」を創設しています。これは現在の東京証券取引所の前身となりました。

渋沢栄一は日本経済に銀行制度と株式会社制度を普及させ、現在の経済の礎を築いたのです。

このように、日本経済が発展するために資金配分の基礎を構築し、民間経済の活性化に貢献したことによって、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになりました。

 

このようにしておよそ500社以上の企業の立ち上げに関わり、事業を起動に乗せてきた渋沢栄一は財界のトップとして君臨することになります。ですが、それでも渋沢栄一は事業によって得た利益や名声にはあまり頓着していなかったようです。
利益は社会のために使うべきだという信念があり、明治42年(1909年)に70歳となった際には、60社もの事業や団体の役職を辞めています。そして、大正5年(1916年)には、77歳で実業界から身を引いています。渋沢栄一はその後、社会貢献活動に力を入れていったのだそうです。

 

素晴らしいですね。初めての銀行、証券取引所を設立しただけにとどまらず、社会貢献活動にも力を入れていたなんて新紙幣に選ばれるのにふさわしい人物といっても過言ではないことがわかりました。新紙幣を手にするのが楽しみですね🎵

 


 

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